東洋占星術とは?
東洋占星術の起源星を見ながら星座の位置を知り、黄道十二星座の「今日の運勢」を知る。これは今の西洋占星術による占いですが、東洋占星術は、紀元前4世紀ごろの古代バビロニア起源の惑星占星術を基にしています。星座を見るのではなく、惑星の様子を観察しながら、作物の出来・自然災害・流行病・皇帝の性格や治世を占っていたものです。自然の周期に着目した占いであることは西洋占星術も東洋占星術も同じですが、東洋占星術は星座でなく、惑星の動き中心に考えます。さらに後年は太陰暦と結びついていきます。
東洋占星術と暦・曜日
西洋占星術と東洋占星術の違いは、古代中国の「天文学国家独占」にも強く影響を受けているといいます。西洋占星術は、天体・地球の位置関係を精緻な数学を道具にして解明する作業を中心とし、ホロスコープという一人一人の生まれた日や現在の時間に合わせた「オーダーメイド天体図」を中心に占うものが多数を占めます。これに対して、月・火星・水星・木星・金星・土星の観測を中心とする中国起源の東洋占星術は、民間学術の限界までチャレンジしてきたという歴史を持っているものでもあります。古代バビロニア起源と言われる占星術はインドにも渡ります。占星術が暦と結びつくのはこの辺りからです。アジアの古い暦である「太陰暦」は、月の周期により、作物の出来を占い、農事歴の側面を強く持ちます。そして曜日は人間の休みも含めた「一週間の作業日程」を決める目安になってきました。これが占いの世界では、人間の宿命が曜日に宿る「宿曜」の考え方につながります。「宿曜」は28あり、ほぼ月の周期と一致しています。起源はお釈迦様の教えにも遡り、釈迦教などの仏教の書物にも登場すると言われています。
中国とインドの占星術の出会い
古代中国とインドの占星術は「本命星」「宿曜」を中心とする現代の東洋占星術・四柱推命などの他の占術にも影響を与えます。密教の秘技と言われていたこともあるインド起源の占星術は、中国の占星術と出会うと、暦から転じて「ものの法則性」に着目した実利的な占術になります。西洋占星術はのちに天文学と呼応する形で発展しましたが、インテリの世界に閉ざされていたことと対照的にどの社会階層にも浸透していきます。作物だけでなく、取引・結婚・出産などライフイベントにどんな日が適しているのか、宿曜・本命星から占うのが各流派共通したところですが、これに易学・気学・陰陽五行説の考え方が加わり、細かくこういう日にはこれをしてはならない、こういう日はこれをすべし、と言った「行動規範」に発展します。中国の唐の時代以降のことです。
日本の占星術
日本の先進国である唐から陰陽五行説とともに占星術を持ち帰った日本人は、その律儀な国民性もあってか、占いの結果によって「物忌み」(何をしても良くない日なので屋敷にこもる日)「方違え」(その居場所では災難が起こると言って居場所を変える)といった習慣が平安貴族の中で一般化しました。宿曜術の影響を特に強く受けていたと言われます。京都に「陰陽師」と言われる占い師がいたとされますが、東洋占星術に明るく、将来を予測する能力を持っていたため、権力者までが一目おく存在となっていたようです。現在寺社仏閣で売られている易断暦の中には、易占いだけでなく宿曜表・星祭表などの東洋占星術に関するページが多くありますが、あれは日本での東洋占星術の解釈の代表例であり、大安・仏滅といった吉凶についての考え方は、日本ならではの占星術の解釈であると言われています。貴族が好んだ占星術は、時が過ぎると神道とも結びつき農民文化とも融合し、生活の中に浸透していきました。吉日を生かして行事を行うことにより、自然界から来る目に見えないリスクを減らす。こうした考え方は私たちにとってもごく常識的であり、現代人も知らないうちに東洋占星術に影響を受けていると言えるでしょう。
まとめ
現代の私たちも知らず知らずのうちに東洋占星術の考え方を取り入れて生活しています。自然の法則を知って自然界から来るリスクを避ける、という考え方の本質にある「謙虚さ」を東洋占星術を通じて大事にしたいものです。